といっても、発生する環境が主に職場っていうところで、
調理を生業とするぎじゅちゅしょく…技術職だと、まああるだろう。
割と真剣に仕事をしているのである。
先日、社員食堂のお客さんが「あと10分くらい居たいけど…」と何やら言っていた。
「おじいちゃんの仕業」
―――はい?おじいちゃんの仕業??
「断じて、おじいちゃんの仕業ではないです…」
「五時市やらなくちゃ」
割と全然違うんですけど、換気扇がブンブンうるさいし、茹麺機はグツグツうるさいし、あんまり聞く気ないしで変な聞き間違いをしちゃいます。
だけど、おそらくこんなこと絶対に言ってないであろうけど、一応聞く。
おじいちゃんの仕業ですか?って。
そうすると、「むしろおじいちゃんの仕業ですね。まさにソレです」と言ってくれたりする。
そんな聞き間違いを話のネタにするのも楽しいからいいんですけどね。サンドウィッチマンのネタみたいで。
仕事において、以前はアパレルとか介護とかやってたので、いつも色んな方向にセンサーを向けていました。
だから色んなところにすぐさま駆け付けたり、何気ない話も聞き耳立ててたりしたんですけど、今は1分1秒まで的確に動いてガシガシこなしていくスタイルなのでそんなことできない。
食材に包丁、目の前の鍋や、お客さんのカウンター前に立つ動作、タイマーの音、オーブンから漏れる香り…
自分が今やってることを中心に優先順位を延々とつけていって、現在何に一番気を遣って、いかに効率よくこなしていくかってところがポイント。
そして、なぜそこまで効率を求めるのかってところなんですけど、勿論お客様をお待たせしないってことが当たり前にある。
だけど、僕の中で一番の理由というか意味は、『いかに楽をするか』『どうしたら怠けられるか』にある。
的確にスピーディーに仕事をこなすことが高揚感をもたらすし、それだけでも楽しいんですけど、『いつもだらけてるけど、やるときはやる』のがカッコイイと教え込まれている。
なんかその気怠さとのギャップが中二病感があるし、非常に共感できるのだ。
後半だらける為に全力で前半をやるし、人前ではいつもダルそうにしている。
早く自分の仕事を片付けた上で、ひとの仕事を手伝ったりするのも、みんなの仕事を早く終わらせて忙しくなったら手伝ってもらおうとか考えているから。でも、それを口にしちゃうとダサいので言わない。
怠ける為にどんどん先を見て、どんどん先手を打っていく。
そうすると、勿論早く終わるし、万が一の事態に陥ったときにも対応する時間が割ける。
そういう自分のポリシーみたいなのがありまして。
そんな中で出会った本がこちら。
森見登美彦の聖なる怠け者の冒険。
表紙の絵とか裏面の文を見てイイネ!って思ったやつだし読んでみることにしたのだ。
それで、この聖なる怠け者の主人公がまさに僕と同じ考えで、「怠ける為なら何だってする」だとか「のんびりする為にいそぐ」だとか思ってる。
というわけで、冒頭しかまだ読んでないけど楽しい。
仕事行ったり、勉強したり、チラシを修正したり、アニメ見たりで忙しいからなかなか読めないけど、寝る前にちょっとずつ読む。
この本に僕の生きるためのメソッドが書いてあると思うんだ。
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